もうひとつのジャポニスム その①  異国の宣教師たちが見出だした漆蒔絵の魅力




《南蛮屏風》 江戸時代 17世紀 九州国立博物館蔵
出典:Colbase  https://colbase.nich.go.jp/collection_items/kyuhaku/A120?locale=ja

西欧における日本美術の受容といえば、19世紀後半のジャポニスムがよく知られています。しかしそれより300年ほど前の安土桃山時代から、西欧に高く評価されてきた日本の美術品があります。それが漆蒔絵です。最初に日本の漆蒔絵に接したのは、安土桃山時代にポルトガルやスペインから訪れたイエズス会の宣教師たちでした。彼らが布教のための聖具類を漆蒔絵で誂えたことをきっかけに、漆蒔絵は東洋由来の美しい美術工芸品として、西欧の王侯貴族らにも愛好されるようになります。こうした漆器は南蛮漆器と呼ばれ、当時の高度な技術を駆使した多くの作品が現存しています。




日本の漆蒔絵に魅了された宣教師たち

宣教師たちが漆蒔絵の美しさや品質の高さにいかに魅了されたかは、ポルトガル人の宣教師ジョアン・ロドリーゲス(1561/62?~1633)の『日本教会史 大航海時代叢書』から伺えます。彼は漆蒔絵について、「日本の漆器は黄金のように滑らかに光り輝く」「職人の純金や貝による細工の手法は、絵画芸術とも密接に関わっている」「中国と比べて日本人が漆器づくりに優れていること」など、美術品として高く評価しています。それだけでなく、「漆が熱湯でも耐えうる素材であること」という実用性に優れることや、「あまりに高価なので領主や金持ちしか入手できないこと」などについても触れています。

彼らが目にした漆蒔絵は、当時の漆器の中でも最高の技術で制作された高台寺蒔絵と考えられます。豊臣秀吉夫妻が愛好したことで知られ、北政所が亡き秀吉を弔うために建立した寺の名前から命名されました。多くの戦国武将らも重用した、安土桃山時代を代表する美術品の一つです。高台寺蒔絵は黒い漆塗りの地を残し、主に平蒔絵や梨地の手法で秋草などの優美な文様が描かれているのが特徴です。


《秋草蒔絵徳利》桃山時代 16世紀 京都国立博物館蔵
出典:Colbase  https://colbase.nich.go.jp/collection_items/kyohaku/H%E7%94%B227?locale=ja


《秋草蒔絵見台》安土桃山~江戸時代 16~17世紀 東京国立博物館蔵
出典:Colbase  https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/H-4279?locale=ja


布教用具としての漆蒔絵

一方で宣教師たちが注文した聖具を見ると、かなり作風が異なることがわかります。平蒔絵や梨地などの技術も使われていますが、黒地を埋め尽くすほどに螺鈿が施された華やかな作品が多いのです。「IHS」というイエズス会紋を目立たせる必要性があったかもしれませんし、ポルトガル人やスペイン人は繊細な作風を好まなかったのかもしれません。


《IHS花入籠目文蒔絵螺鈿書見台》桃山時代 16世紀 京都国立博物館蔵
出典:Colbase  https://colbase.nich.go.jp/collection_items/kyohaku/H%E7%94%B2122?locale=ja



《IHS紋蒔絵螺鈿聖餅箱》桃山時代 16世紀 京都国立博物館蔵
出典:Colbase  https://colbase.nich.go.jp/collection_items/kyohaku/H%E7%94%B2118?locale=ja

しかしそれだけではなく、こうした意匠には布教を効果的に行う狙いもあったのではないでしょうか。筆者は、この当時の代表的な作品の一つである《花鳥蒔絵螺鈿聖龕》を直接鑑賞する機会(「桃山―天下人の100年」展 東京国立博物館、2020年)がありました。大きさは高さ約80㎝、観音扉が開いた状態での幅は約90㎝、正座してみるとちょうど全体が見えやすい大きさです。観音扉には金銀の蒔絵と螺鈿が埋め尽くされ、中央には金の幾何学文様で縁取られ、その奥にキリストを見守る聖母マリアが描かれた銅版画が納められています。聖龕の実際の厚さ約5㎝以上の奥行きが感じられ、螺鈿と金文様の煌めきの中に浮かび上がる聖母マリア像からは荘厳さが伝わってきます。まさに教会のモザイク壁画、ステンドグラス、金地の板絵等と同様の効果であり、明かりの少ない日本の暗い室内でも神々しい光を放ったであろうことが想像できます。


《花鳥蒔絵螺鈿聖龕》安土・桃山時代 16世紀 九州国立博物館蔵 重要文化財
出典:Colbase  https://colbase.nich.go.jp/collection_items/kyuhaku/H5?locale=ja


王侯貴族が手にした南蛮漆器

こうした漆蒔絵に注目したのが、宣教師とともに来日していたポルトガルの貿易商人です。当時の西欧では東洋との交易が活発化し、アジアの美術工芸品は権力者への献上品や王侯貴族どうしの貴重な贈答品として扱われていました。貿易商人たちは漆蒔絵に商品価値を見出し、王侯貴族を顧客として日本の漆蒔絵を輸出するようになります。この時にヒット商品となったのが洋櫃と書箪笥で、いずれも日本にはなかった輸出専用の形状でした。

洋櫃はかまぼこのような形で、箱形の本体に半円筒形の蓋がついています。典型的な作例の一つである《花鳥蒔絵螺鈿洋櫃》は、高台寺蒔絵に見られる秋草文様と、布教聖具に多用された螺鈿細工がともにあしらわれた大変美しい作品です。大きさは縦50cm、横90cm、高さ60㎝ほどで、この作例よりも大きな洋櫃も多数現存しています。商人らはこの中に他の小さい輸出品を収めて運んだことがわかっており、彼らにとって輸送効率のよい品物だったようです。


《花鳥蒔絵螺鈿洋櫃》桃山時代 16~17世紀  京都国立博物館蔵
出典:Colbase  https://colbase.nich.go.jp/collection_items/kyohaku/H%E7%94%B231?locale=ja

一方で書箪笥の人気デザインは、扉が前方に倒れて文机になるタイプのものでした。西欧ではコンソール(飾台)に置いて、必要な時に蓋を開ければ机の天板として使用できる便利なアイテムでした。作例の《花鳥蒔絵螺鈿箪笥》には11の小さな引き出しがあり、それぞれに秋草や花鳥が細やかに描かれています。部分的に螺鈿や赤い文様が所々に配されており、大変愛らしい作品です。書箪笥は大きさも様々で、この作例のように高さ40㎝程度のものもあれば、大きいものでは70㎝ほどのものも現存しています。


《花鳥蒔絵螺鈿箪笥》安土桃山時代 17世紀   東京国立博物館蔵
出典:Colbase  https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/H-4478?locale=ja


鎖国とともに次の時代へ

南蛮漆器は、日本の鎖国政策により50年ほどでその歴史を閉じます。1639年にポルトガルとの国交が禁止され、宣教師も貿易商人も次々と帰国していきました。しかし宣教師たちが持ち帰った漆蒔絵の聖具、王侯貴族らが求めた洋櫃や書箪笥などをきっかけに発生した漆蒔絵の人気が終わることはありませんでした。今度はポルトガルに替わり唯一貿易を許されたオランダによって、引き続き多数の漆蒔絵が西欧に渡ることになります。


参考文献・資料
  • ロドリーゲス・ジョアン『日本教会史 下 大航海時代叢書Ⅹ』池上岑夫他訳、岩波書店、1970年。

  • 図録『japan蒔絵 -宮殿を飾る 東洋の燦めき-』読売新聞大阪本社、2008年。

  • 稲葉繁美「隠喩としての漆蒔絵―蒔絵研究の現在が示唆する可能性」 『美術フォーラム』第19号 醍醐書房、2009年5月30日

  • 『日本の美術 №426海を渡った日本漆器Ⅰ(16·17世紀)』至文堂、2001年。

  • 京都国立博物館「博物館ディクショナリ―」南蛮漆器物語https://www.kyohaku.go.jp/jp/learn/home/dictio/shikki/nanban/

  • V&A collection  ‘The Mazarin Chest’
    https://collections.vam.ac.uk/item/O18900/the-mazarin-chest-chest-unknown/



著者プロフィール





吉武 泉
(よしたけ・いずみ)

京都芸術大学大学院芸術研究科修士課程修了。
16~18世紀ごろの西欧における日本美術の受容について研究しています。


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