新表現主義の代表的作家 アンゼルム・キーファー「ソラリス」展―隠されたメッセージを受け取る
2025年6月7日、京都・世界遺産の元離宮二条城で開催されていたアンゼルム・キーファー「ソラリス」展を訪れた。新作を含む33点が並ぶ大規模な構成で、戦後ドイツの「記憶」をめぐる作家の思索が、物質の重みとともに提示されている。
敗戦直後の荒廃したドイツで幼少期を過ごしたキーファーは、ナチスの歴史、聖書やギリシャ神話、哲学などの層を重ね、破壊と再生のあいだに潜む人間の本質を問い続けてきた。鉛・藁・灰・金箔といった素材が、単なる画材を超えた「記録」として呼吸する。
太陽神《ラー》:光の起源と影の記憶
二条城の敷地に入って右へ折れると、幅約10m・高さ約9mの巨大な彫刻《ラー》が出迎える。パレットから翼を広げるかのような造形は、創造(制作)と飛翔(解放)の二義性を示し、足元でとぐろを巻く蛇は光に従う影の必然を暗示する。瓦屋根と白漆喰のモノトーンに屹立する重さは、作品が「場」と結びついたときの説得力を物語る。
展覧会のタイトルの「ソラリス」は、ラテン語で太陽を意味し、作品名《ラー》は古代エジプト神話における太陽神である。キーファーにとって太陽は再生の象徴であると同時に、照らされることで浮かび上がる影の記憶でもある。
見る者にゆだねられた意味〈見えなかったものが、見えてくる〉
建物内に入ると、新作《オクタビオ・パスのために》が正面に飾られている。その大きさと質感は観る者を圧倒する、幅約10mの大作である。
ネットで予約をした時に、サイトのトップページに紹介されていた作品だ。見た瞬間、青銅と思われるエメラルドグリーンや金と黒の対比が美しいと感じた。作品についての解説はなかった。
入場するときに、念を押すように「場内は撮影可能です」と2度告げられた。撮影することでわかる何かがあるのだろうか。
《オクタビオ・パスのために》の中央部が盛り上がっているので、何かが描いてあることは分ったが、何も見えなかった。筆者が食い入るように見つめている部分は、他の人も入れ代わり立ち代わり、近づいては見えているものが何かを探していたようだった。
家に帰りパソコン上で撮影した写真を見た時に、思わず声を上げた。
逆さに描かれた人であった。
《オクタビオ・パスのために》が何を描いた絵画なのか。調べたが結局分からないままになっていた。
後日、音声ガイドから本作が広島の原爆投下直後の情景を扱っていると知る。初見で筆者は「美しい森」を見ていた。意味の確定を急がず、観者が自らの記憶と眼差しで像を結ぶ──ここにキーファーの方法の核心がある。
物質が語る:鉱物・沈殿・沈積のレイヤー
鉛、灰、沈殿、金箔──物質はモチーフではなく、記憶のキャリアとして画面に留まる。そこに言葉を超えた「沈黙の証言」がある。
静寂のレクイエムと、喪失からの再生
柱だけが残る建物の前に置かれた乳母車。中に詰め込まれた木切れは、喪失の中から芽吹く再生のメタファーとして読み取れる。
西洋と日本の記憶をつなぐ「場」:二条城という文脈
金色に輝く穂の間に、焼け焦げた黒い小麦が混ざる。これは単なる豊穣ではない。
破壊の記憶と再生の希求が、同一画面に共存する矛盾の象(かたち)である。西洋の戦後記憶と日本の歴史が、二条城という空間で静かに交錯する。
キーファーの慟哭や行き場のないエネルギーを芸術に昇華させた作品たちが観る者を圧倒する。自分の力では背負いきれないものを前に、ひとはどのように向き合えばいいのだろう。キーファーはその問いを物質の言語へと変換し、観者に手渡す。作品の前に立つ時間は、作家の慟哭と沈黙のあいだに身を置き、自らの視線で意味を生成する行為である。
会期:2025年3月31日から6月22日
会場:京都・世界遺産 元離宮二条城
点数:新作を含む33点
















