レオナール・フジタの古寺巡礼 ―オルレアン近郊のロマネスク聖堂1―
「平和の聖母礼拝堂」建立に際し
藤田嗣治(レオナール・フジタ)(1886~1968)は、最晩年の1966年に「平和の聖母礼拝堂(その後フジタ礼拝堂と改名)」をフランスの古都ランスに建立した。これは、ネオ・ロマネスク様式の三つ葉型ラテン十字の小さな石造礼拝堂である。内部の壁面全体には、フレスコ画で聖母子やキリスト伝が描かれている。その他、中世風のステンドグラス、板絵、浅浮き彫り彫刻等で装飾された瀟洒な礼拝堂である。
建設に先立ってフジタは、友人の田淵安一(1921-2009)の進言によって1964年7月15日、オルレアン近郊にあるロマネスク聖堂を訪問した。田淵安一は抽象表現主義の画家だが、学者肌で中世美術に詳かった。年齢や画風の隔たりを越えて親交を深め、フジタの礼拝堂建設の夢を良く理解し、協力した人物だ。フジタ達が訪問したロマネスク聖堂は、サン=ジャック・ド・ゲレ聖堂、サン=ジル・ド・モントワール礼拝堂、サン=ジュネ・ド・ラヴァルダン聖堂、ノートルダム・ダレイン聖堂等である。
本コラムでは、その中で最もフジタの礼拝堂建設に影響を与えたと考えられるサン=ジル・ド・モントワール礼拝堂を紹介する。フレスコ画の見学が目的だったと思われるフジタは多くの写真を撮影し、礼拝堂の佇まいも大変気に入って「前庭でピクニックをした」と当日の日記に記している。田淵は、暑い日差しの中、路地の奥にある小さな入り口に向かうフジタ夫妻の後姿を写真に撮っている。
サン=ジル・ド・モントワール礼拝堂
オルレアンの西方 110 ㎞、ブロワの約 40km 北西に位置するモントワール・シュル・ル・ロワールの街はずれ、築地の奥に聖ジルに捧げられた礼拝堂がひっそりと残る。アプシス外壁の屋根の下には、ロマネスク聖堂によく見られる「二股の人魚」「人面」「クマ」等の奇怪な持ち送り彫刻が見られる【写真1】。
創建は11世紀に遡る修道院付属礼拝堂で、すぐ近くの丘の上には中世領主の古城遺跡が見える【写真 2】。18 世紀末のフランス革命時に身廊が破壊され、天井も抜け半ば壊れた廃寺である。また、脇を流れるル・ロワール川(ラ・ロワール川の支流)の氾濫によって1.2mほど地面埋まっており、時の流れを感じさせる【写真3】。
【写真2】右手奥の古城遺跡(2017.10.25撮影)
【写真3】地面にうまっているのがよく解るファサード
かつては倉庫等にも使用されたが、19 世紀来の中世古寺保存運動の中で、再発見、再評価された。保存状態の良い12世紀の壁画が、三つ葉型のアプシスと二つの翼廊に残された、貴重な歴史的文化遺産である。
破壊された身廊に後年設けられた扉からドーム状の交差部に入ると、アプシスと南北にある翼廊が三つ葉型ラテン十字の形に広がっているのが解る【写真4】。それぞれの半ドーム天井エリア(コンカ)には12世紀の「栄光のキリスト」をテーマとした壁画が残る。身廊、翼廊部と交差部とを隔てる4つのアーチには、α、ωが記された「神の胸像」、美徳の擬人像と思われる「騎士像」「犠牲の子羊」「セラフィム」「天使の胸像」「神の手」等が描かれている【写真4】。
【写真4】アプシスの「栄光のキリスト・再臨」
アプシスには、二重のマンドルラを支える天使達と四福音書記者のシンボルに見守られた、(表情は既に消えて見えないが)髭のない若い「キリストの再臨図」が描かれている。ロワール地方に多く見られる、白い下地に、褐色の濃淡、黒、赤で彩色された技法で描かれており、軽やかにマンドルラを囲み舞う天使たちの伸びやかなポーズが目を引く。さらに入り口上部のアーチには、本に足をかけた「犠牲の子羊」の姿が見える【写真5】。
【写真5】アプシス「栄光のキリスト・再臨」
南翼廊の半ドーム天井エリア(コンカ)には、二重のマンドルラの中に威厳を感じさせる「ペテロに鍵を与えるキリスト」と左下にはペテロと考えられる人物が見える。マンドルラの上部には「聖霊の鳩」が描かれ、入り口のアーチには「神の手」が見える【写真6】。
【写真6】南翼廊
【写真7】北翼廊
南北翼廊の壁画は制作時期が12世紀後半になり、アプシスの「栄光のキリスト・再臨」とは技法や顔料、制作者集団も異なる。
アプシスの「栄光のキリスト・再臨」が最もプリミティフな画風で素朴な美しさを感じさせる。ロワール川周辺や、トゥレーヌ地方のロマネスク聖堂の祭壇には同じ制作者集団作と思われる作例も見られ、画家や職人集団の移動が想像できる。例えば、フジタも訪問した、トゥールから南西50㎞に位置する村、タバンにあるサン=ニコラ聖堂のアプシスの、白の下地、褐色系の顔料、キリストや天使、福音書記者のポーズ等に類似性が認められる【写真8】。
【写真8】サン=ニコラ聖堂の祭壇画
フジタ礼拝堂への影響
フジタにとって、サン=ジル礼拝堂をはじめ多くのロマネスク聖堂に描かれた「降臨するキリスト」、取り囲む四福音書記者の象徴である「四つの生き物(ひと、獅子、牛、鷲)」{飛翔する天使}は、様式こそ違え大変参考になったと考えられる【写真 9】。その他、フジタ礼拝堂のあちこちにある浅浮彫やフレスコ壁画、各種装飾にも、「犠牲の子羊」「神の手」「飛翔する天使」等が採用されている。
そして、最も重要な点は、フジタ礼拝堂のコンクの作り方【図1】が、サン=ジル礼拝堂の 三つ葉型ラテン十字プラン【図2】と酷似している事だ。
フジタがいつ礼拝堂のプランを決めたのかを調べてみると、1963 年に制作した試作マケットは単身廊のものであったのが、サン=ジル礼拝堂訪問後、1966 年に作った最終マケットには、三つ葉型ラテン十字プランを採用しているのである【写真10】。
【写真10】1963 年制作の単身廊マケット(左)と 1966 年制作の三つ葉型ラテン十字マケッ
ト(右)の比較 (左:エッソンヌ県議会提供、右:シャンパン・GHムム社蔵)
フジタはこのロマネスク聖堂訪問の前後に、礼拝堂の装飾にフレスコ画技法を採用する事を決めている。以前は、描きためておいた油彩画による宗教画を飾るつもりだったようだが、キリスト伝と聖母子像とをさらに数多く描くために、単身廊から三つ葉型ラテン十字プランに切り替えた可能性が考えられるのである。
以上の事から、サン=ジル礼拝堂は大変参考になり、複合的に自分の礼拝堂の装飾や建築に取り入れた可能性は濃厚だ。
サン=ジル・ド・モントワール礼拝堂の魅力
中世以来、片田舎にひっそりと残るロマネスク聖堂は、古拙で個性的な壁画や浅浮彫り彫刻等が魅力であり、愛好者も多い。美術史家、金沢百枝氏の著作「天使の舞い降りる聖堂」では、サン=ジル礼拝堂の専門的な解説と、風景の中の聖堂と内部のフレスコ壁画の美しい写真によって、ロマネスク美術の魅力が余すところなく紹介されている。
中世美術史の泰斗である辻佐保子氏(1930-2011)の論考「モントワール、サン・ジル教会のロマネスク壁画」は、この礼拝堂や堂内の壁画について詳しく解説している。それによると、ロマネスク期のフランスでは三つ葉型ラテン十字プランの聖堂は数も限られ、珍しいという。
また、この礼拝堂の三つ葉型の内陣と、11 世紀に近隣のヴァンド-ムに建てられた「三位一体」教義に捧げられたラ・トリニテ修道院との関連にも言及している。
夫君の文学者、辻邦生氏(1925-1999)は妻の視察旅行に同行し、壁画等の写真撮影を手伝った。一方、この礼拝堂は、辻氏がかねてより愛好していたフランス後期ルネサンス期の宮廷詩人、ピエール・ド・ロンサール(1524〜1585)の「隠れ家」としても知られていた。ニ度目の訪問時に、辻氏は礼拝堂の前の草地に寝転んで草花や昆虫を眺め、小鳥の囀りを聴きつつロンサールのオードやソネットに思いを馳せ、その後エッセーを残した。聖堂の冷たい石の永遠性と、周辺に咲いている野の草花や乙女の儚いからこそ美しい生の対比を詠う、ロンサールのオードやソネットに辻氏が思いを馳せた事も、この礼拝堂を忘れがたいものにしている。
「手ずからに 花束編みて わがおくる いまこの花は 盛りなり。今宵摘まずば 散りしかん、あすははかなく。 忘れたまうな、身にしめて(ママ)、花の盛りのきみが美も、しばしを待たで 色褪せて、たちまち失せん、花のごと。 時はゆく、時はゆく、ああ! いな、過ゆくはわれらかな、とく埋もれん、墓の下。 ときめく恋も 亡きあとは、語らうひとのなきものを、愛したまえよ、花のきみ。 (ロンサール作 マリーへのソネット)」
薔薇ピエール・ドゥ・ロンサール
- Val de Loire Roman ( la nuit des temps 3 ), Paris, La Pierre-qui-Vire, Zodiaque,1980,pp.119-131,pp.289-293,pp.331-333,pp.375-377.
- Léonard Foujita、没後40年レオナール・フジタ展、2008年、北海道新聞社、194頁。
- 金沢百枝「天使の舞い降りる聖堂」小澤実「城と教会のある風景」、『工芸青花』2号、2015年、6⁻20頁。
- 辻邦生「ロンサールの隠れ家」海外文学、辻邦生全集18,2005年、新潮社、367-370頁。
- 辻佐保子「モントワール、サン・ジル教会のロマネスク壁画」『美学美術史研究論集』第23号、2008年、1-16頁。
- https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Rosa_%27Pierre_de_Ronsard%27_at_Ishida_Rose_Garden_in_Odate,_Akita,_Japan.jpg(2026.5.16参照)



