フィリップス・メモリアルとアーツ・アンド・クラフツ建築


図版出展:筆者撮影 南側から北を望む

2023年9月、筆者はイギリスの南西部、サリー州ゴダルミング市にあるフィリップス・メモリアルパークを訪れた。パーク内にある「フィリップス・メモリアル」は、タイタニック号沈没事故の際、最後まで通信を続けて殉職した地元出身の無線技師ジョン・フィリップスを称えるために1914年に建立された施設である。

広大な芝生の中に静かに佇むその建物は記念碑であることを主張しすぎず、むしろ周囲の風景に自然と溶け込む。これは後述するアーツ・アンド・クラフツ思想の影響であり、“記念碑的建築”でありながら人々の日常風景に寄り添う独特の佇まいを生み出している。



アーツ・アンド・クラフツ運動の精神を体現したメモリアル


図版出展:フィリップス・メモリアル全景Phillips Memorial Park An arts and Crafs Movement Tribute to a Hero the Titanic .p21.The Society for the Arts and Crafts Movement in Surry 2012

フィリップス・メモリアル・クロイスター(回廊)の設計者は、ゴダルミング生まれの建築家ヒュー・サッカレー・ターナー(Hugh Thackeray Turner ,1853-1937)である。ターナーは、ウィリアム・モリスの理念を建築として具現化したフィリップ・ウェッブらと並び、アーツ・アンド・クラフツ運動の中心的建築家として知られる人物である。

さらに彼は、1877年にウィリアム・モリスが創設した古代建造物保護協会(SPAB:Society for the Protection of Ancient Buildings)において、1883年に事務局長を務めるなど歴史的建築物の保護・修復の思想にも深く関わった。
その経歴は、ターナーの建築観が単にデザインの美しさにとどまらず、歴史と素材の“誠実さ”を守ろうとする姿勢によって支えられていたことを物語っている。

アーツ・アンド・クラフツ建築の特徴

  • 地域の歴史・風土に根ざした意匠
  • 手仕事と素材の誠実さを重視
  • 建物と庭を一体として設計
  • 過度な装飾を避け、機能と美を統合した形態

ターナーはこの原則に忠実であり、メモリアルの設計ではサリー地方の伝統的農家建築をモチーフにし、地域の職人を積極的に起用した。建設材料も地域で採れる素材を選び、“土地に根ざした建築”を目指している。

また、庭園設計と植栽計画は、当時活躍した女性庭園家ガートルード・ジーキル(Gertrude Jekyll ,1843-1932)が担当した。1912年、ターナーはジーキルからフリップス・メモリアルの協働を依頼され、以後サリーを中心に多くの協働作品を残す。本メモリアルは、その両者の思想が極めて自然に融合した代表例として評価されている。


フィリップス・メモリアル・クロイスターの設計と建築様式



図版出展:フィリップス・メモリアル・クローサー内部 筆者撮影

フィリップス・メモリアル・クロイスターの設計において、ターナーとジーキルは共通の関心―サリー地方に残る古い農家建築の形式、地域の職人技と素材、そして風土に寄り添う景観のあり方――を強く反映させた。

その結果、この回廊は“記念建築”でありながら、地域の歴史的文脈の中で自然に溶け込む空間として成立している。


■建築ディティール|素材が語る“誠実さ”

フィリップス・メモリアルの価値は、その象徴性や追悼の物語だけでは語り尽くせない。
建物に近づくほど、アーツ・アンド・クラフツ運動が重んじた「素材への敬意」や「職人の手仕事」が確かな存在感をもって伝わってくる。過度な主張を避けながらも、細部の積み重ねが建物全体に“誠実さ”を宿らせているのである。以下、具体的に見てみよう。



エントランスと屋根


図版出展: クロイスターエントランス(回廊入り口)。正面にメダリオンが見える。特徴的な屋根の形状 筆者撮影

エントランスとアプローチは控えめなデザインで、軒先には緩やかなカーブを描く両翼が特徴的である。屋根の素材は、サリー地方で伝統的に使われてきた無釉の粘土タイルが葺かれ、素朴な質感が建物全体の静謐さを補強している。


地元の煉瓦と再利用された舗装材
 

図版出展:舗装、壁面、パーゴラ(筆者撮影)

ターナーは建物の壁に、地元職人が製作した茶色とオレンジ色の伝統煉瓦を採用した。舗装部分には、ゴダルミング中心街のハイストリートから回収されたコベルストーン(cobble stones)が再利用されている。

これはアーツ・アンド・クラフツが掲げる「素材の倫理」「地域コミュニティの歴史への敬意」を体現したものといえる。当初この回廊は完全に囲まれた中庭として建てられたが、後に南側の壁が取り払われパーゴラへ変更された。


■回廊の椅子と女性・子供への配慮

図版出展:クロイスター内部 筆者撮影

当初、クロイスター(回路)は、看護師や患者の散策の場、瞑想の場として、また音楽演奏の場としても利用されていた。回廊内部にはベンチが設置され、母親と子どもが雨天時でも過ごせるように配慮されている。


図版出展:クロイスター外壁に設けられた座席 筆者撮影

外部にはさらに、屋根付きの席が設けられた。これらは共同設計者ジーキルによる提案であり、当時としては革新的な“利用者中心のデザイン”であった。


ジョン・フィリップスを称える記念碑

図版出展:筆者撮影 ジョン・フィリップを称えるメモリアル・タブレット(記念牌)

回廊東側の壁面には、ジョン・フィリップスを称える記念タブレットがはめ込まれている。
この彫刻を手がけたのは、ターナーの兄で彫刻家のローレンス・A・ターナー(Laurence A. Turner)である。バーゲイツ石に刻まれた文字と植物紋様は、彼の卓越した手仕事の証である。



図版出展:筆者撮影 ジョン・フィリップを称えるメモリアル・タブレットを東側に望む

ローレンスは、フィリップ・ウェッブの依頼によりケルムスコットにあるウィリアム・モリスの墓碑を制作したほか、ロンドンのリバティ百貨店のファサード装飾なども手掛けた名工である。ここにも、建築と工芸が緊密に結びついたアーツ・アンド・クラフツ運動の特徴が色濃く表れている。



訪問を終えて

フィリップス・メモリアルを訪れて何より心に残ったのは、アーツ・アンド・クラフツ運動が大切にした“建物と庭が寄り添うように一体となる姿”が、この場所では自然に息づいていたということだ。

歩みを進めるたびに目に入る細やかな意匠のひとつひとつからは、ターナーが生涯抱き続けた「建物は正直で、誠実であるべきだ」という想いが、語りかけてくるように感じられた。




著者プロフィール


谷川 文江

株式会社アトリエフィーズ代表取締役。一般社団法人フラワーワークスジャパン代表理事。京都芸術大学芸術学部デザイン科卒業。同大学院芸術研究科修士課程修了。雑貨デザイナーを経てフラワーデザインを国内外で習得。1996年フラワースクール、アトリエフィーズを設立。2000年兵庫県西宮市に自らの設計素案・デザインにより、イギリスのゲストハウスをイメージしたフラワーサロンをオープン。2013年フラワーワークスジャパンを設立し、講師の育成にも力を注ぐ。「花とインテリアを通じて暮らしを楽しむ文化を創造する」を理念に幅広く活動している。
著書に『切り花を2週間長持ちさせる はじめての花との暮らし』2020年、『狭くても美しく心地よい空間づくり はじめての極小ガーデニング』2024年(共に家の光協会)がある。企業コラムやガーデニング雑誌の連載を担当。


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メタ美術史研究所とは

メタ美術史研究所は、定期研究会やWebコラムなどを通じて、美術や表現にまつわる問いを多角的に発信。個人研究者の支援や、イベントの企画、将来的には電子出版も視野に入れた活動をすることで、分野や立場を越えてつながる場を育んでいきます。

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