タイタニック号の沈没事故とフィリップス・メモリアル


1912年に起こったタイタニック号沈没事故は、イギリスはもとより世界中に大きな悲しみをもたらした。イギリス人の電信技士であるジョン・フィリップス25歳が、救難信号を発信し続けたことで多くの命が救われたことから、追悼と彼の勇敢さを称えたフィリップス・メモリアルが作られたことはあまり知られていないのではないだろうか。

今回は、タイタニック沈没時の様子や当時のニュースとともに、フィリップス・メモリアルが作られた経緯を紹介したい。



タイタニック号の沈没事故

タイタニックの沈没した場所と死者数

出展:Phillips Memorial Park An arts and Crafs Movement Tribute to a Hero the Titanic .p21.The Society for the Arts and Crafts Movement in Surry 2012 P.15


1912年4月14日、15日の未明、タイタニック号はカナダのファンドランド島沖で氷山に座礁して沈没し、乗船者2228人のうち、1519名が死亡した。11時40分に衝突が発生した時、乗組員は軽い衝撃を感じただけだったとされるが、スミス船長はすぐに遭難信号の発信を命じた。電信技士のジョン・フィリップスは無線メッセージで救難信号を送り続け、午前2時17分に無事に救難信号は受信された。そのおかげで、705名もの命が救われたのであった。


タイタニック号沈没のニュース

タイタニック号遭難のニュースは、大西洋の両岸の人々に衝撃と深い悲しみをもたらした。生存者である通信助手のハロルド・ブライトは、ニューヨーク・タイムズ紙のジム・スピアーズ記者のインタビューに応じた時に、疲労とショック、そしてひどい凍傷に苦しみながら、この時の様子を伝えていたとされる。『ニューヨーク・タイムズ』紙は、電信技士のジョン・フィリップスのことを「終始冷静で頭脳明晰。無線メッセージを打っているフォームは完ぺきだった」と報じた。

船長は、ジョン・フィリップスに逃げるように指示を出したとされるが、彼は生存者として見つからなかった。結局、どのような最期を迎えたかは、現在に至っても憶測の域を出ていない。


出展:Phillips Memorial Park An arts and Crafs Movement Tribute to a Hero the Titanic .p21.The Society for the Arts and Crafts Movement in Surry 2012 P.15,P16

イギリス国内をはじめ、アメリカやカナダからも寄せられた多くの追悼の手紙と寄付がゴダルミング市議会に届けられた。ローカルプレスによると、毎週、購読者リストと各自がいくら寄付をしたかが記載された。

フィリップス・メモリアルが創設され経緯


図版:筆者作成

英雄のジョン・フィリップスを称えるための記念碑を建設する必要性があるとする世論を無視した市議会を、なぜ早く建設しないのかとマスコミが騒ぎ立てた。市議会はメモリアルにふさわしい場所を探すために議論を重ね、タイタニック沈没事故から1年半後の1913年11月下旬から整地作業が始まり、1914年4月にフィリップス・メモリアルは完成した。

ジョン・フィリップスはイギリスのサリー州ゴダルミング市出身であったため、ゴダルミングの市議会が彼を追悼し称えるためにメモリアルを建てた。ゴダルミング市は、ロンドンからおよそ50キロ南西に位置する緑豊かな地域である。

フィリップス・メモリアルは、ゴダルミング駅からほど近い、ブリッジ・ロードからチョーク・ロードに入った所にある。1880年代に始まった産業革命の申し子のようなタイタニックが沈み、産業革命を否定したアーツ・アンド・クラフツ運動を支持した人々がフィリップス・メモリアルを設計、建築した。


フィリップス・メモリアル創設にかかわった人々

図版出展:5人の女性のうちの3人 左からガートルード・ジーキル、ジュリア・ハンス、メアリー・ワッツ。
Phillips Memorial Park An arts and Crafs Movement Tribute to a Hero the Titanic .p21.The Society for the Arts and Crafts Movement in Surry 2012 p.21

フィリップス・メモリアル創設にあたり、ゴダルミング市議会は、市議会に所属していた4人の女性を担当者に選んだ。計画を遂行するにあたり4人の女性たちは、専門外の庭園デザインができる人が必要だったため、5人目の女性として庭園家で造園家のガートルード・ジーキルを召喚した。1900年代初頭のイギリスにおいて、園芸、造園、そして公共公園の創設は女性が得意なテーマであるとされた。また彼女たちは全員、サフラジスト(女性参政権論者)としても活動していた。皆、時代の最先端をいく人物たちだった。

5人の女性を紹介したい。彫刻家で、ロンドンのポストマンズ・パークの建設にも関わっていたメアリー・ワッツ。彼女はサフラジストとして知られる女性参政権協会(NUWSS)のゴダルミング・アンド・ディストリクト支部の会長を務めた。酪農家として活躍したジュリア・シャーロット・ハンス。画家で地元の保守党員の妻であったマージョリー・ホーン。女性自治協会幹事で地元のリベラル党候補者の妻であったイオナ・ディディー。そして、庭園設計、ナーセリーを営むガートルード・ジーキルである。ガートルード・ジーキルは、メアリー・ワッツとともに女性参政権協会(NUWSS)のゴダルミング・アンド・ディストリクト支部の副会長を務めていた。 

5人の女性たちによる協議の結果、建築物は回廊型(クロイスター)に決定され、設計者としてアーツ・アンド・クラフツ様式の建築を得意とするヒュー・サッカレー・ターナーに、ガートルード・ジーキルが依頼をして実現した。ターナーは、1877年にウィリアム・モリスが設立した古代建造物保護協会の事務局長に1883年に就任した。この協会は、中世の教会を建築家の乱暴な修復や取り壊しから保護することを目的として活動していた。

次のコラムではフィリップス・メモリアルの建築を、アーツ・アンド・クラフツの視点からご紹介します。



主要参考文献
  • Phillips Memorial Park An arts and Crafts Movement Tribute to a Hero the Titanic  The Society for the Arts and Crafts Movement in Surry 2012 



著者プロフィール


谷川 文江

株式会社アトリエフィーズ代表取締役。一般社団法人フラワーワークスジャパン代表理事。京都芸術大学芸術学部デザイン科卒業。同大学院芸術研究科修士課程修了。雑貨デザイナーを経てフラワーデザインを国内外で習得。1996年フラワースクール、アトリエフィーズを設立。2000年兵庫県西宮市に自らの設計素案・デザインにより、イギリスのゲストハウスをイメージしたフラワーサロンをオープン。2013年フラワーワークスジャパンを設立し、講師の育成にも力を注ぐ。「花とインテリアを通じて暮らしを楽しむ文化を創造する」を理念に幅広く活動している。
著書に『切り花を2週間長持ちさせる はじめての花との暮らし』2020年、『狭くても美しく心地よい空間づくり はじめての極小ガーデニング』2024年(共に家の光協会)がある。企業コラムやガーデニング雑誌の連載を担当。


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